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2024年05月03日
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until サンプル

2003年11月28日
冒頭より


 冬の朝は寒い。布団の中に居てもぶるりと震えてしまう。だから目の前に暖かなものがあったらすがりついてもしょうがない、ので俺は無意識にそれに顔を摺り寄せた。なんだこれ、あったかいなあ。
 今日は日曜日だ。桜も藤ねえもいつもの平日の一時間ずらしてやってくる。だから少しくらいは寝汚くても許されるだろう。ああ眠い、あったかい、あったかいなあ。
 と、ここまで考えてふと気づく。
 あったかいものってなんだ?
 ぱちくりと目をしばたかせる。
 目の前には褐色の物体。
 んん?
 あったかい。非常にあったかい。まるで湯たんぽだ。……湯たんぽ? なんだってそんなものがある。俺は小さいころにやけどしてから一度も使ったことがない。いまごろ土蔵の中でガラクタと一緒にどこかにまぎれているはずで、よしんば湯たんぽだとしてもこんなでかい湯たんぽがあるものか。
 なんて、そんなの現実逃避だった。
 どんどこ心臓がなっている。
 まさか、とか、なんでさ、とかそういう言葉ばかり脳内を飛び交う。
 何故だなんて聞くだけ無駄だ。いつだって現実は無慈悲に己の前に横たわり、そこから動こうとはしない。ああだからこれは紛れもなく現実のことで。
 神様!
 祈ったことのない神様に祈る。
 俺は無神論者だ。だって、見守るだけで祈っても救いの手を差し伸べてくれない神様を信じたってしょうがない。死んだ後しか救ってくれないというそんなけちな神様に祈る時間があるなら、無い頭を振り絞って知恵をひりだしたほうが建設的というもの。
 だから、俺は神様を信じていなかった。だけど、やっとわかった。なぜ人が神に祈るのかということを。人ってどうしようもない事態に直面したら、もう笑うか祈るしかないのだ。
 いま、人生において、ああこれほどまでに祈ることはもう無いだろう。だから神様、無かったことにしてなんて言わないから。
 起きてしまった事実は曲げられない。だとしたらせめて。神様仏様、何だっていい、悪魔だって、この世すべての悪だってかまわない。
 ――今すぐ俺の記憶よ飛んでいけ!!
 祈る気持ちは裏腹に、よみがえる記憶。
 うん……、俺って酔っても記憶を無くすタイプじゃなかったんだな。
 頭を抱えた俺の目の前で、褐色の物体が身じろぎをした。
 あーあーあーあー! 物体じゃないですよ、人体ですよ! まごうかたなき、人体で、そして、何が悲しくて。
 神様。
 あんまりです。俺まだ、童貞なんですよ?
 なのに、
 なのに、
 うれしはずかし、朝帰り。
 目を覚ましたときに見たものは。
 背中に回された腕は己よりも一回り太く、目の前に見える胸筋は豊かに(豊満なおっぱいであればまだ救いはあったものを)、抱き枕よろしくすっぽりと己の身体は抱き込まれている。
 ――どう贔屓目に見ても男です、よ、ね……。
 ずきずきと頭が痛い。きっと過ぎた酒のせい。だけど痛いのは頭だけじゃなくて――
 ひとしきり汗をかいた後のようにべたつく肌。
 寝起きだというのにずっしりと手足の重い倦怠感。
 それから、
(なんだってあんなところが)
 口に出せないところが違和感を訴えかけているのか。違和感というかこれは、鈍痛で。
 そこから導き出せる答えはひとつ。加えて、いま己にくっついている男は一糸まとわず、己を省みても下着の一枚も身に着けていない。
 ああ、
「なんでさ」
 つぶやく言葉は重く、唇のすぐ先で溶けて消えた。

 その夜のコペンハーゲンはいつに無く盛況だった。
 繁華街の端っこと言う立地条件か、はてさて店構えのせいか、収容人数にもかかわらず満席という事態にめったにならないこの店は、平たく言うと流行っていない部類に入る。
 だというのに今日、週末のコペンハーゲンの客席はほとんど埋まっていた。普段であれば8時にあがるところネコさんに頼まれてラストまで入ることになった。本当は俺の年齢ではその時間までは働いてはいけないことになっているのだけれどそこはそれ、臨機応変に。正義と法は違うのですと自分を納得させる。
 とはいえ、小さな店だ。マスターの親父さんがカウンター対応で、ネコさんが調理場、そして俺がホール係という三人シフトである。
 そんな中、ふらりとやってきたのだ。件の男が。
 一見だ。どころかここいらじゃ見たことの無い顔だった。
 顔立ちはアジア系に近い。だけど褐色の肌に、なにより目を引くその銀とも取れる白い髪。無愛想な黒いシャツの上からも見て取れる均整の取れた体躯は同じ男としてうらやむほかないその上背。
 とにかく異彩を放っていた。
 その場にいた誰もがそいつに注目した。
 男は周りの視線を気にも留めずに奥の席に座り、さりげなくマスターに声をかけて酒を頼む。常連でもないのにさまになる格好。
 ひそひそと女性客たちが顔を突き合わせて内緒話、視線はちらちらと件の男を見ている。
 だけどなんだろう。確かに目を引く男である。なのにそれ以外、なにかが引っかかった。ちらり、と脳裏に赤い光が瞬く。――赤い光?
「エミヤーん、どうした?」
 グラスを磨きながらぼうっとしていたらしく、その様子に気がついたネコさんに、調理場の中から声をかけられた。
「え? あ、ああすみません」
「エミヤんも気になるの、あのお客さん」
 ちらりと視線をやれば、口元にわずかな笑みを浮かべてマスターとの会話に興じている。
うちのマスターはそのクマみたいな外見にも関わらず一人客の扱いがうまい。話をしたそうな客には水を向けてやり、あまりおしゃべりではない客にはああやって適度な距離をつくりそつなく会話をあわせている。男もまた同じくリラックスした表情で時折頷いてなどしていた。
「いや、そういうわけじゃ……あんまり見ない感じだから」
「そうねーここいらじゃ外国人は珍しくないけどちょっと見ない色合いだからね。それにいい男だし」
「まあそれはそうなんですけど……」
「どした?」
「いや、どっかで見たような気がするんです」
 見たような、ではなくもっと違う何かが。
 こんなところじゃなくて、違う世界の――こんな日常の世界じゃなくってもっと。
「アレだけ派手な外見してて忘れるなんて出来なさそうだけどね。町でみかけたとか」
「違うんです、なんかもっと……」
 奥の席で座っていた男が、なにに気を止めたのかふいにこちらに視線を向けてきた。
「あ」
 鷹の目だと。
 知ってる。あの目を知っている。
 すべてを射抜く、鋭い眼光を俺は知っている。なのに――ずき、と頭が鈍い痛みを訴えかけた。
「ほーい、カウンター一番にこれお願いね」
 ネコさんから差し出された皿を染み付いた習いで受け取った。ほかほかと湯気を立てるそれはコペンハーゲン名物の自家製ソーセージだった。大きなソーセージが3本、噛むと中からじゅわっと肉汁があふれる。添えてあるのはたっぷりのマスタードと付け合せのザワークラフト、塩と胡椒で味をつけた茹でジャガイモ。これだけでぐいぐいと酒は進む一品である。
 カウンター一番って、奥の。
 あ、そうかこれを待ってるんだ。
 さっきから視線がこちらに向いたまま動かないのをそう納得した。
 ホールに出て、人を掻き分ける。なんだって今日はこんなに盛況なんだろう。なのに男の目線がじっとこちらに突き刺さるよう。まとわりつく。なんで。
「自家製ソーセージとザワークラフトです」
 とん、とカウンターの、男の目の前に皿を置く。たちのぼる湯気と食欲をそそる肉の香り。
「あ、あの。なにか?」
 だというのに男の目は皿に移らず、こちらに向けられたまま。
 ざわざわと首元に何かを感じる。警鐘にも似た。
「いや、なに。マスターこんな時間に子どもを働かせるとはよくないな」
「あー……、今日はね、ちょっと」
「ピンチヒッターかね」
 どう贔屓目に見てもマスターとネコさん二人では回しきれる状況でない人の入りだ。
「普段は絶対入ってもらわないんだけれどね」
「ふむ」
 言葉を切って、一緒に出されたお絞りで手をぬぐった。ふいと、視線がそらされる。
「子どもじゃないです」
 つい口からこぼれたせりふ、驚いたのは自分のほうだ。だけどいまさら口の中に戻せるものでもないし、それに聞き捨てならない。確かに俺は童顔だけど、背も低いけど(これはこれからに期待してもらいたい)だからといって子どもという年齢ではない。
「そのセリフが子どもだというのだ」
 くつくつと笑う、姿にびっくりした。子どもだと、また言われたのにそのことばかり気になった。
「どうした?」
 呆けていた俺に、男は首をかしげる。
「え、いえ。なんでもないです」
 ……笑えるんだ。
 なんて、なんて失礼なことを考えた。そりゃ笑うだろうおかしけりゃ、当然のことだ。なのに俺は非常に強い違和感を感じている。なんで、この男が笑う姿をみてそんな気持ちになるんだろう。
 ――笑った顔なんて初めて見た。
(そりゃそうだろう。だってこの男とは『初対面』なのだから)
 ほんとうに?
 もちろんこれだけの印象を残す姿、簡単に忘れられるはずがない。覚えがない、だからこいつと俺は初対面だ。そのはずなのに。
「お客さんと、俺って会ったことないですか?」
 違和感、と。
 咽喉元までせりあがってきているはずの何か、それがわからない。覚えていない? それとも忘れたのか。意識は知らないといっている。それが正しいのだろう。しかしもう一方で感じる既視感。
 からん、と男が持っていたフォークが音を立てた。
 え? 俺なんかおかしなこと言っただろうか。
「ぷっ、あはははは、エミヤんそれじゃあまるでナンパの常套句だよ!」
「え?」
 いつの間にかすぐ傍に来ていたネコさんが盛大に噴き出した。身体をくの字に曲げて、そんなに笑わなくてもいいじゃないか。
 それに――ナンパ!?
 頭の中で、軽薄な男が派手な女の子に声をかけている「俺と君ってどっかであったことあるでしょう?」なんてベタベタな。
「え、いや! そそそそそういう意味じゃなくて! その」
 ありがちな台詞をそのままなぞった己が恥ずかしい、くっそ耳まで熱くなる。だから違うのだと、言っているのに!
「もー、気になるのはわかるけどさ、こんな男前普通忘れないでしょう?」
「だから、ちがいますって!!」
 こんなところで俺をからかっている場合じゃないでしょう!
 男もなにやら手で隠しているが笑いをかみ殺しているようだった。
うううう、くそ!
 捨て台詞も思いつかなくてトレイをもって、ネコさんと入れ替わるように調理場へ逃げ込んだ。


 さすがに看板の時間に近くなると人の入りは少なくなる。最後の店じまいまで手伝いをする予定だったがさすがに法令違反覚悟とはいえどもあまりに遅くなるのは藤ねえの手前はばかれるということで、先にあがることにした。
「ごめんねーエミヤん助かった」
 ネコさんが裏から封筒を持ってきて手のひらに載せた。俺は特別に頼み込んで、普通は月払いのところを日払いにしてもらっているのだ。いつもよりもちょっぴり厚みの増した封筒にほくほくする。これで新しい工具が買えるとあたまのなかで算段つける。
「いいですよ。今月ピンチだったし俺のほうこそ助かりました」
「んー、ほんとエミヤんいい子だわー」
 ぐりぐりと頭を撫でてくる。ここには己が子どものころから出入りしているせいもあってかどうにもいまだにそういう扱いから抜け出せない。心地よいと思ってしまう自分もいるのだが。
「じゃあね。お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」
「お先失礼します」
 エプロンをはずし、マスターに挨拶をしようと店内に顔を出す。まだマスターは件の男と話をしていた。既に店には人は数えるばかり。
 俺に気づいたマスターが笑って手を上げれば、俺は目礼で返す。と、また男と目が合った。
 あの目で見られるとひどく気分が落ち着かなくなる。ざわざわと身体の中で何かがうごめいて、胸をかきむしりたくなる。耐えられなくて俺は逃げるようにバックヤードへ引っ込んだ。バックヤードといっても店に併設されたプレハブ倉庫の片隅にベニヤで作られた小さな部屋だ。
 スチールで出来たロッカーにしがみつく。
 薄い鋼のような目。銀の髪に褐色の肌だなんて出来すぎだ。あれだけの男ぶりを、どこかであったことがあるなんて。己の言動を思い出すほどに恥ずかしさがつのる。気のせい気のせい。しかし火のないところにと言う事も。いや、きっとどこかテレビとかで見たことがあるのかもしれない。
 もそもそとエプロンをかばんに押し込んでシャツの上からダウンジャケットを羽織る。この時間帯にさすがに制服の上着をきたまま町を歩くのは憚れるのだ。かばんに上着を押し込めばぱんぱんになる。今日は土曜日で、授業は昼までだから教科書の数が少ないのが幸いした。といっても大半の教科書は机の中に押し込んだままになっているが。
「さむ……」
 木戸を押し開ければ寒風に身を縮こまらせる。
 冬木の冬は暖かいというが、実際住んでいるものからすれば冬は寒いものと決まっている。
 ぶるりと身を震わせて夜の街に滑り出した。
 駅前まで行こうか、歩いて帰れないことも無いがこの時間ならまだバスは残っているはずだ。バスロータリーに向かうため新都の夜の道を歩けば、いつもよりは人が少ない気がした。土曜ともなればまだまだ飲みに向かう人々でいっぱいのはずの道もどこかまばらだ。まだ日付はまたいではいないはずなのに、おかしいな。
 そういえば今日の店は一時は人でいっぱいになったけれど、比較的人のはけが早かった。客の一人が言っていた「嫁が早く帰ってこいってうるさくて」近頃変な事件がたて続けに起こっているし。
 深山町ではテレビのニュースにもなった一家惨殺事件、教会に続く坂道のあたりではガス爆発が起こり、新都では謎の集団ヒステリー。普段は閑静な住宅地ばかりの地方都市である冬木の街は最近不穏な空気に包まれている。かつての大災害の十年目の節目を迎えたというのに。また。
 かくいう自身も、なにか落ち着かない日々をおくっている。その何かがわからない、もやもやとしたものを抱えながら。
 早く帰ろう。
 もうこんな時間じゃ帰ったって誰もいないけど。
「あ!」
 どん、と衝撃を受けてよろけてしまった。
 ぼんやりしていたようだ。前から誰かが来ていたのによけることもせず真正面からぶつかってしまった。考え事をしていたからか、ぶつかった拍子にバランスを崩し、危うく車道にまろびでそうになる。すんでのところを身体を相手に支えてもらった。……二重に恥ずかしい。
「すみません、ありがとうございました」
 と見上げた相手の姿に、息を飲んだ。
「ああ、さっきの店の」
 俺を歩道に戻して顔を覗き込んできた男。
先に帰ったはずの俺がなんでこの場所で。もしかしたらバックヤードでずいぶん無駄に過ごしたのだろうか、それとも考え事をしていたせいで歩くのが遅くなったのか。どちらにしろ、こんなところで会うなんて思ってもみなかった。
客と店員、店のドアをくぐってしまえば二度と会うことは無いだろうと思っていた相手。
「大丈夫か」
「え?」
 ぶつかったことに対しての問いなのか、一瞬わかりかねて馬鹿みたいな顔をしてしまった。
「まあいい、気をつけて帰れ」
 くるりと背を向けて男が歩き出す。
 駅とは逆のほう、己とは違う道行き――。
「……なんだ?」
 なぜか思わずシャツのすそをつかんでいた。
 男が怪訝な顔でこちらを見下ろしている。
 なんだって言われたって。どうしよう。
 追いかけてしまった。それから逃げられないように掴んでしまった。男は怪訝な顔をしているがきっと己は困惑した表情を浮かべているだろう。それくらい自分の衝動が理解できなかった。
「えと、その……」
 なんと言えばいいのかわからない。だけど無言になるには出来なくて言葉を捜して空回り。えと、あのその。
「なんだ、やっぱりナンパだったのか」
「ちがう! ……違います」
「もう店の中じゃないんだ。無理して敬語を使う必要は無い」
「そ、そう?」
 なんかこの男に対して、そうかしこまった口ぶりをするのに苦痛を感じていた。もっと砕けた感じでいいとさえ。初対面なのに。
「で、私に何か用があるんじゃないのか?」
「え?」
「なんだ呆けた顔をして。用がないのに声をかけてきたのか」
 用、ってほどじゃない。ただなんとなく追いかけて捕まえなくっちゃって、それだけで。
 かあ、と頬が赤くなる。それじゃあほんとにナンパじゃないか。違う、断じて違う。でもなんでって言われたら困る。わからない。
 初対面である。誓って、この不思議な違和感を無視して言えばこの男とは面識は無い。さっき薄暗く紫煙の煙るバーで客と店員という間柄で出会うまでは。それだってこの男が入り口を出てってしまえば終わるという関係で。
「じゃなくて、ただ――」
 ひどく、焦燥感が募った。
「そういえばお前、夕飯まだなんじゃないのか?」
 いきなり言われた。
 そういえば今日は忙しくてまかないを取る暇さえなかった。ずっとホールに出ずっぱりで、食べることを忘れていたのだ。
 でもなんでそれを知っているんだろう。
「やっぱりな、ほら、いくぞ」
「え?」
「腹が減っているんだろう。私ももう少し飲みたい気分でね。どうせ明日は休みだろう。付き合え」
 ぐう、となった腹をかかえ、急展開に頭が真っ白になる。
 誰が、誰に付き合えって?
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