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2024年05月03日
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ただしいくちびる

2004年08月07日
序盤より抜粋
*



 正直に言うと俺は困っていた。
 しんどい。
 今までの俺は弓兵に対していったいどのように振る舞っていたのだろう。思い出そうと頭をひねっても思い出せない。
 まったく初恋に戸惑う小学生じゃないんだからと呆れる。そりゃ恋愛経験なんて数えるほどで、彼女だっていたことがない。そんな俺にどうしろって言うんだ。いや言われてもどうしようもないわけだが。
 あいつとどうこうなりたいなんて思えるはずがない。だから今まで通り振る舞うのが正解のはずなのに。
 ちゃんとできているか自信がない。
 朝起きておはようと挨拶をすることも、差し出されたお茶碗を受け取ることも、不自然に見えてやしないだろうか。
 気取られてはいないだろうか。
 どうしたって俺は男だし、あいつも男だ。そもそも俺がこんな感情を抱くこと事態、異常なことなのだ。
 思い悩んだあげく、俺はなるべくアーチャーと接触しないことを選んだ。こうすれば俺の行動、反応がおかしいと思われる機会も減るだろう。あとは自分の中の問題だ。
 もしばれてしまったらどうしよう。どんな顔をするだろう。
 ぐう、胸のあたりが苦しくなった。
 嫌だな。
 こんな気持ちを抱えているなんて。
 重くて、しんどい。なんだってこんなもの抱えてしまったんだろう。


「ねえ士郎、アーチャーさんと喧嘩でもしたの?」
 らっきょを摘もうとしていた箸がとまる。ぽとりとらっきょは再び甘酢の中に沈んだ。
 朝食の席には俺とアーチャーと、藤ねえの三人だった。桜や遠坂たちがいないことはよくあるが、藤ねえの出席率は安定して百%である。まったくこの人の家はどこだ。
 事前に連絡はあったので下ごしらえしていたのは三人分。筑前煮に叩きごぼう、とろろ納豆、太刀魚の塩焼きは藤ねえがやってくる時間に合わせて焼き上げる。今朝は量だけはあるものの品数は控えめである。。
「なんだって?」
 沈んだらっきょがはねてテーブルにしずくをこぼした。……思わず聞き返す。
「だから喧嘩」
 藤ねえの指が俺と、隣の男を指し示す。動く指につられてちらりとアーチャーの方を見れば知らぬ顔をして味噌汁を啜っていた。
「別に喧嘩なんかしてないぞ。なあアーチャー」
「――ああそうだな」
 一瞥くれたアーチャーもいつも通りの返答。
「ほら、アーチャーも言ってるだろ」
「うーん……」
 藤ねえは叩きごぼうをぽりぽりかじりながらそれでも納得行かない顔をしている。なにが気になるって言うんだろうか。
「いきなり変なこと言うなよな」
 俺とアーチャーのどこをみて喧嘩をしているなどと言うのだ。
 ここ最近振り返っても言い合いしたことなどないし、小さな諍いと呼べるようなものもない、一方的に俺が突っかかることもないし重箱をつつくような嫌みも言われていない。
 ほらどこにも喧嘩など発生していないじゃないか。むしろ穏やかな日々、二重丸だ。
「でもなーんかヘンじゃない?」
「いきなりおかしなこと言う藤ねえのほうかヘンだろ。ほらしゃべってないで早く食べないと遅れるぞ。今日早朝会議があるんだって言ってたの誰だよ」
「え、あ、あーほんとなんかのんびりしちゃってた!」
 ご飯をかきこんで(どんなときも食事を残さないのが藤ねえらしい)鞄をつかんで立ち上がる。
「ごちそうさま、アーチャーさんありがとう今日もご飯おいしかったよ!」
 ひらひらと手を振る藤ねえの背中を押す。
「ほら早く」
「わわわ、じゃあ行ってくるねー!」
 まったく、どうして早く行かなくちゃいけないのと言っておきながらいつも通りの時間配分で行動するのだろう。なれたものだが毎回不思議でしょうが無い。
 玄関まで藤ねえを見送って、戻ってくると居間ではちょうど食事を終えた弓兵と目があった。
「なんだよ」
 じい、とこちらと見てくる。
 なんか言いたいことでもあるのだろうか、そんなに見られる理由はないぞ。
 というか、困る。
 あわててお茶碗に残った飯を掻き込み空にしてもごもごとごちそう様といった。己の分の食器を重ねて流しに持っていくのに、弓兵の鷹の目はずっと追いかけてきているのかちりちりと首の後ろに視線を感じて落ち着かない。なんでさ。
 ざっとすすいで、本格的に洗うのは弓兵に任せてしまおう。
「お、れも、もう学校行くな」
「早いな」
 弓兵の疑問もうなずける。いつもよりは三十分は早い。
 今日も一成からいろいろ頼まれ事をされているのだ。視聴覚室の扉の立て付けが悪いとか、図書室にある踏み台が壊れたとか、諸々。
 早く行って早く片づけたいのだ。
「金曜はバイトの日だったな」
「たぶん遅くなるから、悪いけど晩ご飯たのむな。先に食べててくれ」
 どうせ飢えた虎だのライオンだのにせっつかれるのが目に見えている、待たずともよい。
「いってきます」
 返事を待たず鞄をひっつかんでそそくさと出ていった。

 馬鹿なことを。
(喧嘩にだってなりゃしない)
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